田舎坊主の読み聞かせ法話

By: 田舎坊主 森田良恒
  • Summary

  • 田舎坊主の読み聞かせ法話 田舎坊主が今まで出版した本の読み聞かせです 和歌山県紀の川市に住む、とある田舎坊主がお届けする独り言ー もしこれがあなたの心に届けば、そこではじめて「法話」となるのかもしれません。 人には何が大事か、そして生きることの幸せを考えてみませんか。
    田舎坊主 森田良恒
    Show More Show Less
activate_samplebutton_t1
Episodes
  • 田舎坊主の七転八倒<遠隔引導>
    Sep 19 2024

    この田舎寺もご多分に漏れず檀家さんの数は減少傾向にあります。かつては全部で600戸近い檀家さんがありましたが、飯盛鉱山という銅鉱石を産出する銅山が1970年に閉山廃鉱になると、200戸以上がこの地を去っていったため、現在では380戸ぐらいに減少しています。

    その後も多くの檀家さんが出ていかれましたが、そのうちの何軒かは今でも出檀家(でだんか)として法事やお盆のお参りなどはこの田舎寺と縁をもってつながっています。その理由は田舎から出て行っても同じ宗派のお寺が近くになかったり、やはり先祖代々お世話になったふるさとのお寺の坊さんにお参りなどはお願いしたいと思われている方も多いからでしょう。

    もう一つの理由は、お墓がふるさとにあるということです。田舎を離れて行かれた方の中にはお住まいのところでお墓を求めることが困難な方も多くいるようなのです。近頃は「墓じまい」という言葉も出ているようですが、まだまだ田舎ではお墓がなければ「はかない」と、春秋の彼岸やお盆には多くの方がお参りをしてきれいにお祀りをされている姿が見られます。

    このように縁をつないでいる出檀家さんは、橋本市から和歌山市までの紀ノ川筋や大阪府まであって、お盆には必ずお参りさせていただいています。

    出檀家さんの法事は、ほとんどが田舎寺の本堂でつとめてもらうようにしているのですが、葬式に関してはどうしても家の近くのセレモニーホールなどへ行かなければなりません。お通夜や葬式については当然予定が立てられないため、その段取りはなかなか当家の意向に沿うことが難しいのが現実でもあります。

    さてそんななか2014年2月14日、大阪の出檀家さんから葬儀の依頼が入りました。2月13日のお通夜は当家が希望している時間より一時間早めてもらいつとめることができました。しかし葬式当日は朝から思わぬ大雪となってしまったのです。

    とにかく当日導師をつとめるため、辻和道副住職が自動車で出発したのですが、国道を5キロメートルほど進んだところから大渋滞で全く動けなくなり、副住職の携帯電話から「だめです。進みません」と連絡が入ります。

    インターネットで調べてみると橋本市から大阪に抜ける紀見峠も全く動けません。すべての電車もバスも止まっているとのことなのです。葬儀場に電話を入れると、式場の前の道路も20センチ以上の積雪とのこと、参列者も多くの人が到着していないとのことでした。私は副住職に帰るように電話をし、式場関係者にある提案をしました。

    それは本堂で引導作法をするようすをこちらからインターネットで送るので、式場のスピーカーで流すかパソコン画面に映し出してほしいというものでした。いわば遠隔で引導作法を送る遠隔引導の提案でした。


    ちなみに私は年齢の割にはデジタル人間でして、パソコンがなければ仕事にならないくらいそこそこ使いこなしている方なのです。こんなときこそパソコンでネット中継だと思ったのです。しかし、式場の関係者からは、残念ながらパソコン画面はもちろんのこと、スピーカーにもつなげないとのこと、「案外不便だなあ」と感じながら、この提案は却下せざるを得ませんでした。生中継ができないとなれば、大阪の式場での予定時間に私が自坊の本堂で引導作法をし、読経や親族の焼香の時間を指定どおりにすすめるという2カ所同時進行の告別式しかないということになりました。さらに私が引導作法をしているようすを録画して、それをDVDにダビングし当家に郵送するということにしたのです。


    このようにして大雪の日の、坊主になってはじめて経験した遠隔引導は無事終了することができたのでした

    そして副住職は、午前8時に出発し、いつもなら10分ぐらいで帰ってくるところをお寺に着いたのは、お昼ごろになっていました。お疲れさまです。

    合掌

    Show More Show Less
    9 mins
  • 田舎坊主の七転八倒<読経の声が合わない>
    Sep 12 2024
    仏教には声明(しょうみょう)というのがあります。 最近、高野山真言宗では「高野山声明の会」というのも結成されています。この会は本堂などのお堂で催される宗教行事だけではなく、さまざまな音楽ホールなどにおいてショーアップし公演されることも多くなりました。若いイケメンのお坊さんたちが法衣を着け、手にそれぞれ妙鉢(みょうはち:シンバルのような楽器)や散華(本来は花びらですが、絵柄の入った紙が多い)を入れた金色に輝くお盆などをもって、メロディーのついたお経を声を合わせてを唱えているのをご覧になった方も多いことと思います。 お坊さんのなり手が少ないなかで、このようなイベントが幅広く行われ、人材発掘の大きな契機ともなっているのです。ちなみに平成27年は弘法大師が高野山を開創して1200年になります。この大きな行事を前に全国で多彩な「お待ち受け法要」というものが開催されていますが、そのなかでもこの声明公演はひときわ人々の心を引きつけているように思います。その理由はおおぜいの僧侶のきらびやかな法衣衣装であり、厳かなたたずまいや厳粛な作法であり、ライトアップの舞台演出等々であることはいうまでもありません。 しかし最も大きな理由は、僧侶たちの声明がかもし出すハーモニーやメロディーであり、鉢や銅鑼、鐘などの音色ではないでしょうか。 私が平成63年3月、高野山密教遺跡研究会に同行させていただきシルクロードを旅行したとき、多くの石窟寺院を見ることができました。もともとシルクロードはイスラムが侵攻してくるまでは仏教の聖地でもありました。しかし現在残っている遺跡はほとんどが破壊されていて、石窟寺院のなかにはわずかに当時の壁画などを見ることができる程度です。私が最も感動したのは新疆ウイグル自治区の西端に近いクチャというオアシスの町にある「キジル千仏洞」に残された「五絃琵琶」の壁画です。この五絃琵琶がやがて日本に伝わり、現在では日本の超一級の国宝として正倉院に保存されているのはよく知られています。 この石窟にはほかにもたくさんの楽器を持った伎楽天が描かれています。仏教華やかなりしころ、仏をたたえ仏に感謝することを、人々は多くの楽器を使った音楽によって表現したことが実感されるのです。そして町やバザールに行けば、タンバリンやギター、三味線などの原型と思われるような楽器がところせましと売られています。 私の家にはそのときに買ってきたラワープという弦楽器と小さな太鼓、ホータンの河原で拾った玉石と1000年ほど前(?)の茶碗のかけらが今でも大切に部屋に飾ってあります。 現在、聞くことができる声明は日本の原音楽である浄瑠璃や謡曲、義太夫、長唄ひいては民謡などの元となったものであるといわれています。よく「ろれつ(呂律)が回らない」と言います。この呂律(りょりつ)は本来音楽の調子のことです。声明は基本的には呂・律・中の三曲と、五音とよばれる宮(きゅう)・商(しょう)・角(かく)・徴(ち)・羽(う)、つまり段々に音が高くなる、ドレミのような五音階でできています。この呂と律を取って言葉の調子がわるいことを「ろれつ(呂律)が回らない」といったのです。 さて、今から35年ほど前には、お葬式の職衆として声がかかると、ほかの職衆がだれなのか大いに気になったものです。3人葬式の場合、導師がいて脇に職衆が2人座ることになります。式中、導師は小さな声で引導作法をするため職衆2人が声を合わせて唱えなければなりません。この声が不揃いになると、ありがたみというか厳かさというものがなくなってしまいます。そのためお唱えする調子の高さやリズムなどをきれいに合わせることが必要となり、最も神経を使うところでもあります。 ところがなかには呂律のまわりがわるい高齢のお坊さんもいて、その方と職衆が一緒になると合わせるのに大変苦労するのです。お経の息を継ぐところもお互いに違うところですれば、途切れることもなく聞こえるのですが、こちらが止まればあちらも止まるということがあるのです。そうなると次の出...
    Show More Show Less
    11 mins
  • 田舎坊主の七転八倒<老僧の悲哀>
    Sep 5 2024
    いまお寺では後継者不足が深刻な問題となっています。 その主な理由は、子どもが親の働く姿を見ていて継ぎたいと思えるような仕事ではないこと。現金収入とはいいながら子どもを育て独り立ちさせるまでの教育費などを考えると、安定した十分な生活資金が入ってくるとは考えられないこと、などがあげられます。もっと具体的に言えば、急激な檀家の減少、直葬や家族葬とよばれるようなお葬式の小規模化、宗派本山への負担金の高騰、法衣などの新調費や寺の維持管理費、嫁さんの来手がない、などです。 一方では住職の生活さえままならない田舎の檀家寺があります。他方では裕福な観光寺や信者寺などが数多くあります。 いまの日本は格差社会が広がっているともいわれていますが、私ども坊主業界もかなり格差がはげしいのではないかとも思っています。そんな田舎寺なのに「坊主丸もうけ」と思われているのですから、やはり現実とかけ離れた生活を強いられる寺の跡継ぎが好まれないのは当然なのかもしれません。 お寺の跡継ぎがいないということは、あるときにはきびしい現実を目にすることがあります。お寺には「結集」とよばれる互助組織があり、これは住職が病気になったときなどには他のお寺の僧侶がお互いに法事やお葬式などで手伝い合う組織であります。もちろん病気などにならなくてもお葬式の職衆(しきしゅう:導師以外の役僧)などには招かれることがあり、招かれたら次はこちらが職衆としてお願いをします。収入の少ない田舎寺ではこれがご互いに経済的にも助け合う仕組みになっているのです。 私が27歳ころのことですが、紀ノ川をはさんだ山の懐に、いつも職衆として呼ばれていた小さなお寺がありました。そのお寺は老僧が一人で寺を護っていました。奥さまを早くに亡くし、寺の跡取りと考えていた息子は町に出て所帯をもち、むしろ息子の方から縁を切るような形で出ていってしまったそうです。 お寺はほとんどの場合、住職が高齢になると後継者を自分で準備するのですが、息子以外でお願いするとなると、生活のことをまず考えなければなりません。しかし生活を保障できるだけの収入もなく、ましてや檀家もそこまで熱心に考えてくれる人もあまりいないのが実情でもあります。 老僧の年齢はその時80歳を超えていましたが、田舎では住職がいくつになっても必要な存在です。檀家総代が集まって後住(ごじゅう:次の住職)としてお寺に来てくれる人を探すなどしたものの、年に数回しかないお葬式とそれに付随する法事、お盆の棚経だけの収入ではなかなか来てくれる人は見つかりません。お葬式に職衆として行くと老僧は足も悪くなり、なんとか座敷では歩けるものの、田んぼのあぜ道などを行く野辺の送りの葬列は難しく、導師である老僧は、セメントなどを運ぶ工事用の一輪車に乗せられていました。 必要とはいえそこまでして坊主は働かなければならないのかと。同行していて哀れというか、悲しくさえなった思い出があります。 私自身、娘が2人で、しかし下の娘を早くに亡くしたため、1人娘になりました。その娘は大学を出てから介護ヘルパーとして働きだしたので、やがて私が年老いたら寺を継ぐものがなくなるのは目に見えていました。私の脳裏には一輪車に乗せられた老僧の姿が、やがて自分の姿と重なるようになってきました。 そこで、私は新しい住職が来てもらいやすいように、そしてせめてこの寺に住んでもらえるようにと、平成十三年、築二百九十年の庫裡の改修を檀家総代に申し出、理解を得てなんとか人が住めるように直していただきました。 2年後のことです。ヘルパーとして介護老人保健施設で働いていた娘が突然、「私、高野山の尼僧学院に入る」と、言ってくれたのです。尼僧学院の入学式の日、師僧を代表して私が挨拶することになりました。そのときの私は、緑たけなす黒髪を剃りおとし出家した5人の比丘尼の前で、ただただ涙が出て言葉にならなかったことを今でも忘れることができません。 そして娘が尼僧となってから11年たちました。在家に嫁いだものの、なんとその...
    Show More Show Less
    11 mins

What listeners say about 田舎坊主の読み聞かせ法話

Average customer ratings

Reviews - Please select the tabs below to change the source of reviews.